「漫画家になる」「小説家になる」「総理大臣になる」「宗教家になる」
今までお会いしてきたひきこもりの人たちの中には、このようなことを
いつも口癖のようにしている人たちがいました。彼らは決まって、「○
○は○○だから駄目なんだ」「○○の絵は全く駄目だ」「○○のせいで
こんなひどい状況になっているんだ」と他人の批判というか、攻撃も同
時に口にします。...
一方で、自分は何もやりたくないし、何もやるつもりもない、このまま
でいいんだ、と半ばあきらめて無気力になる人たちの群もあります。
さらに、自分には何もできない、やっぱり自分は人より劣っている、も
うだめだ、と落ち込んでしまう群もいます。最初の群をA次の群をB、
最後の群をCとしましょう。
ABCすべて、状況としては家や部屋から出られない、ひきこもりの人
たちです。けれど、お会いしてみると話の内容が全く異なりますし、エ
ネルギー感もABCではばらばらです。Aの人たちに会うと、「だった
ら、自分でやってみればいいじゃん」「それだけのエネルギーがあれば
まずはコンビニでも行って買い物してみて頂戴」といった気持ちが出て
きてしまいます。Bの人たちは、なかば諦めて達観しているので、こち
らの話に耳を傾けようとはしてくれません。聞いていても、ふーん、と
いう感じで、話していても実感がわきにくい感じです。Cの人たちは、
話は聞いてくれますが、すべてについて「でも僕にはできない」「出来
ないぼくが悪いんだ」とここに逃げ込んでしまいます。
この現象、「自己効力感」という視点から説明できるのではないかと考
えています。
自己効力感について説明します。私たちが、何かしらの行動を起こす際
に、目標とともに、その行動をうまく成し遂げることができるだろうか
という「見通し」が必要となってきます。「確信」という言葉にしても
よいかもしれません。このような「見通し」や「確信」を持っていない
と、私たちはいくらその行動の結果が明らかなものであっても、行動を
実行しようとは思えませんよね。自己効力感とは、単純に言えばこれら
「見通し」や「確信」のことなのです。
自己効力感が、何かをやり遂げる場合の「見通し」や「確信」だとする
と、その行動が実行された場合、どのような「結果」が生じるのか、に
ついての期待も存在するはずです。これが「結果期待」というものです。
「自己効力感」と「結果期待」を単純化すると、以下のような図で表す
ことができます。
「人」→→→→「行動」→→→→「結果」
自己効力感 結果期待
ここで、さきほどのABCの人たちを考えてみたいのです。まずAの人
たち。彼らは、自分がなりたいものややりたいことを声に出すことがで
きます。すなわち、「小説家」「政治家」「漫画家」というものには、
なることが出来る、という確信「自己効力感」を高く持っているのです。
けれども、その行動を起こしていない。小説を描いたり、漫画を描いた
り、政治活動をしたり、そんなことはしないのです。つまり、「行動」
がもたらす「結果」が見えていない、「結果期待」が弱いのです。
次にBの人たち。かれらはすべてに関してあきらめ顔です。自分が何か
できる、何かになれる、といった「自己効力感」も、何か行動を起こせ
ば、変化があるであろう「結果期待」も限りなくゼロに近い人たちなの
かも知れません。最後にCの人たち。彼らは自分たちにはできる、とい
う気持ち「自己効力感」は低いのですが、何か行動を起こしたら、その
結果はついてくる「結果期待」は高いのではないでしょうか。行動さえ
すれば、変化することができるのは理解しているんだけど、「行動」す
ることができない。出来ない自分は「駄目だ」となってしまっているの
です。
次回は、ではこんなABCの人たちについて、どのようなアプローチが
有効なのか、独断と偏見で書いてみたいと思います。
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